Nozomi Omote

Percussionist

memories of yusuke kasuya

どうせだれも読んでないのだから日本語で書くことにする。

私にとって忘れられない友達、粕谷裕介について。yupupeというあだ名でよく呼んでたな。小脳萎縮変性症という難病のせいで同じ年だけど、2019年の5月に天国に行ってしまった。最後の5,6年は病状が悪化したそうで、というのも一時帰国の際に会いに行きたいと思っていたけど、症状悪化のせいで会話もままならくなってきたあたりから、なかなか連絡できずにいたのが本当のところ。

まず出会いは2002年、私が金沢大学院の研究生で音楽学を三井徹先生のもとで学んでいたとき、そこにyupupeが杖ついてあらわれた。私がオーストラリアに来る直前のころ。京都の大学に通ってて、三井先生のところに勉強しに金沢大学に訪れてた。なんでだったんだろ、ま、とにかくそこに彼はいた。杖の音がカチャカチャって歩くたびにいってたのを今でも鮮明に覚えている。粋な帽子と昔ながらの眼鏡フレーム、金沢育ちのわりに都会っぽいかんじでイケた兄ちゃんというかんじだった。すぐ意気投合する。

私の金沢大学教育学部音楽専攻の同期だったピアノのみっちゃんも含めて、3人でなんかしようと言い出したのは私。何にするにもオーガナイズするのが苦手な私、とくに演奏会企画なんて自分だけじゃできないのは知ってるし、とにかく口実をつけて、いつも避けてきたけど、この時は小脳萎縮変性症についてきいたとき、yupupeがどんどん歩けなくなったり、もちろん得意のギターも演奏できなくなったり、しゃべれなくなったりしていくことを聞いたとき、いてもたってもいられなくなって、演奏会をすることにした。この上と下がポスター。

演奏は即興演奏会、しかも来場した人も参加する、参加型即興演奏会をした。すごいゾクゾクする時間、面白い時間、わくわくする時間を来場者たちと共有できたすごく有意義な時をすごせて楽しかった。yupupeがイベントのあとでこれを作ってくれた。

そのあとも京都に長いこと泊まらせてもらって、yupupeの自転車、もうそのころは本人乗れなくなってたけど、それも使わせてもらって京都のいろいろなところを回らせてもらえたのもすごくいい思い出。とにかくヘビースモーカーで自分で吸えなくなるまで最後の最後まで吸ってたと思う。だけどいつもいいお香のにおいもしていた。

いろいろな過去話も共有してくれた。すごい内容の話も合ってびびったし、すごい興味深かった。いろんなことを語り合えたあの2007年は今になって思えばすごく貴重だったし、話せる時間ももう人生限りがきていたから、ほんとうにありがたい時間だった。

私の日用品の音を録音してこれも作ってくれた。

このプロジェクトは2007年に長い間日本に帰国してた時(ビザがなくなって帰っていたころ)たくさんしたけど、そのあとまたオーストラリアに戻ってからというもの、たまにしか会えなくなり、そしてどんどん意思疎通もしにくくなったときになかなか会いに行くのがこわくなって(yupupeがどれくらい症状が悪化したのか知りたくなかったのが事実)会わなくなって、そしてみっちゃんから天国へ行ったことのお知らせを聞いたのが2019年。

最後彼はキリスト教になり、キリスト教の形式に従った葬り方をした。最後に会えてなかった自分にすごく後悔。たくさんのすてきな音楽、そしてyupupeの友達にも会えたし、いろんな経験できないことを経験させてもらって、ありがたい友達。

正直、yupupeがいなくなって、音楽をこうやって作れる人がいつか現れるといいなと、ずっと願ってた。そこに現れたのが守護霊のトムだった。電子音楽できて、構成できて、作曲できて、という人。トムと会えたのもyupupeのおかげかもしれない。ありがとうをここで言いたい。

天国でも好きなたばこ吸いながら、ギター弾いて、音楽づくりしてますか。いつかそっちに行ったとき、また一緒に演奏したいよ。